お前ら少しはアウフヘーベンしろ!

多くの日本人は議論ができない。
和を重視する観点から、意見の違いが明らかにならないように曖昧に主張するのは、日本語話者に必須のスキルである。

普段、自分と異なる意見を聞くことがないから、そのような意見を聞いた瞬間に「敵だ!」と判断して身構えてしまうのではないだろうか。

子供を性犯罪から守るということについて。幼稚園児の輪に入っていく高校生の話。 - 日なたと木陰

について、

ite 世界的に見て異常に犯罪率が低い日本の若者をいきなり犯罪者扱いするのは失礼。「地域で子育て」とか言いながら高校生を排除するのは単なる年齢差別。コミュ障の大人が自分の正しさを疑わないあたり救いようが無い

と書いたら、id:shea

shea 「日本は犯罪率が低いから、人を犯罪者扱いするなんて失礼」ってどういう理屈なんだよ…。今対面している奴が犯罪者だったら終わりなわけで、率とか関係ない。結局男は自分のこと言われてる気がしてかばうんだよね。

と言われた。煽ってたところもあるので攻撃されるのは受け入れるのだが、議論のレベルがいつまでもこのままだとうんざりする。何より子供が救われない。
これは、テーゼに対してアンチテーゼをぶつけてる状態だ。意見の違いがあるのはわかったが、私はその上でより良い方法を探したい。

低レベルな言い争いを避けるためにも、合意できそうなところから始めよう。まず、「性犯罪の被害者となる子供を一人でも減らしたい」という点に関しては合意できるのではないだろうか。

そのために、私は現状の「日本の性犯罪率が低い」という事実を示した。これは、現状の日本の性犯罪対策が大きく間違ってはおらず、海外の方法を単純に導入しても子供を助けることは難しいことを意味する。これ以上犯罪を減らすのは容易なことではない。

今対面している奴が犯罪者だったら終わりなわけで、率とか関係ない。

と反論されたが、この意見には部分的に同意する。
「日本全体」のような抽象的な対象ではなく、「いまここにいる子供を守りたい」という思いは私も一緒だ。
そして、そのような「いまここ」の現象が積もり積もったものが日本全体の犯罪率だ。数字の問題ではない、ということには同意するが、とはいえ犯罪を減らすための方法を考えるにあたって犯罪率以外に良い指標があるか、というと私には思いつかない。もし知っているならば教えてほしい。それが良いものならば喜んで採用しよう。
だが単に「データを無視して、私を安心させろ」というのなら、ママのおっぱいでもしゃぶってろ。

「日本は犯罪率が低いから、人を犯罪者扱いするなんて失礼」ってどういう理屈なんだよ…。

についてだが、
日本刑事政策研究会:刑事政策関係刊行物
によると平成に入ってからの強姦の認知件数は大雑把に言って1500件くらいだ。日本に男性は6000万人くらいいるが、60,000,000-1,500の男性は強姦していない。桁が違う。ほとんどすべての男性は強姦してないし、その後も強姦しないだろう。
それなのに「強姦するかも」と発言することが、失礼じゃなくて一体何だと言うのか。あなたは「あなた、万引きしてない? 子供は虐待してない? 最近の人は簡単に不倫しちゃうらしいね。 そういえば、こないだ見つかったバラバラの死体、あなたがやったんじゃないですよね?」とか言われても不快じゃないのか。
「失礼だから、警戒するべきではない」とは思わない。知らない人を警戒するのは当然のことだ。だが、相手について何も知らないなら、知らないなりに敬意をもって接するべきだ。犯罪が怖いからこそ、無駄に敵を作るようなことはしないほうが良い。その上で、しっかりと警戒しながら接する。警戒することと敬意を持つことは、別に矛盾することではない。

結局男は自分のこと言われてる気がしてかばうんだよね。

この文が最悪である。こうやって性別による対立を煽って何が得られるのか。人類のだいたい半分が女性で、半分が男性だ。
中には素晴らしい人格者もいるし、犯罪者もいるし、あなたの味方になる人も、敵になる人もいる。性別によって確率の偏りはあるかもしれないが、良い人も悪い人もいるのは変わらない。そして、良い人はあなたの子供を害するよりも助けることが多いだろう。

件の高校生ならば、警戒しながらこそこそと子供を連れ去る母親は、どう見えるだろう。
その高校生は、仲良くなった子供にサッカーを教えてくれるかもしれないし、素晴らしい本を教えてくれるかもしれない。その経験が子供の成長に決定的な役割を果たすかもしれない。将来、危険なことから子供を助けてくれるかもしれない。そしてもちろん、犯罪に巻き込むかもしれない。
だから、警戒しながら敬意を持って接すれば良い。

「こんにちは。子供好きなんですか?」
「ええ、はい。子供は元気でいいですよね」

「うちの子と遊んでくれてありがとう。私は○○と言います。この子は△△」
「僕は□□です」

「学校帰り?」
「はい、すぐそばの××高校に通ってます」

そうして個人情報を確保しておけば良い。それがコミュニケーション能力ってものだろう。これは、相手が善意で遊んでくれているなら全く問題ない会話だ。信頼関係を育む一歩としても問題ない。そして相手が悪意をもっているならば、「何かした時に足がつく」可能性が高くなる。バレても誰かわからないなら逃げ切れるかもしれないが、身元がわかってるならそれはとても難しくなる。相手は嘘をつくかもしれないが、嘘をつき続けるのは、難しい。ちゃんと話をしていればすぐに見分けられるだろう。たとえ見誤っても、警戒を緩めなければ問題ない。常に子供を見ていればいいのだ。無理なら誰かに頼めば良い。いつかその高校生が見守る側であるとあなたが認識するようになるかもしれない。

だが、敬意を持って接することと、無防備になることを混同してはならない。「信頼してるから」と目を離すのは、ずっと後で良い。それが本当に適切か考えて、信念に基づいて自分で決めろ。「他人に見守りを任せる際には、一人ではなく二人以上の場合に限る」とかルールを考えるのも良いだろう。でも、絶対に危険はなくならない。できるのは、危険がなくならないことを認識した上で、減らすように努力するだけだ。それが受け入れられないというならば、ママのおっぱ(略

つまり子供を守るために、近所の高校生には敬意を払いながら警戒して付き合えば良い、というのが私の考えだ。性別は関係なく、尊敬できる人間同士として、協力して子供を守れば良い。当たり前すぎて陳腐だが、より良い方法を私は知らない。